作家詳細

作家情報

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作家名 宮永愛子
作家名(欧) Aiko MIYANAGA
生年/生地 1974/京都
解説  宮永愛子(1974年京都市生まれ)は、制作を始めた当初から時間を重要な要素としてきた。私たちはふだん、時間は直線的で不可逆なものとして認識している。しかしながら同時に、20世紀初頭、アインシュタインが時間を相対的なものであることを理論化し、時間の可変性を明らかにしたことも知っている。そのような時代に生きる宮永は、円環を描くような独自な時間を作品に取り入れている。それはヘレニズム的な時間*1や輪廻転生のようなものではなく、既述した相対性理論を前提とした20世紀的時間と平行関係にある。例えば、宮永の初期作品にナフタリンで靴をかたどった《まどろみがはじまるとき》(2003年)がある。白い半透明な靴はシンデレラのガラスの靴をイメージさせるだろう。アクリルケースに入ったナフタリンの靴は、姿形は崩れながらも、ケース内に昇華したナフタリンが結晶化して煌めき輝くのである。その変化は、貧しい身なりの娘が魔女の力によって美しいドレス姿へ変貌したことを象徴的に表すだろう。但し、宮永の同系列の他作品が、同様に大団円であるという訳ではない。ナフタリンによる蝶の羽根が時の経過と共に欠けていく姿は「メメント・モリ」を暗示し、崩れゆく時計は、時間の崩壊といったSF的終末思想までも思い起こさせる。このように書き連ねると、そこには物語的時間が働いているに過ぎないと解釈されるかもしれない。
時間を主要なテーマとしていないように見える宮永の別の作品を見ていこう。葉脈にした無数の葉を大量に重ねて貼り合わせ、巨大な一つの布状の形状にして空間に解き放った《景色のはじまり》(2011)のようなインスタレーション作品がある。自然が作り出した繊細な網目模様が基調となった布が、透過した光、或るいは乱反射した光が展示室を満たし、その空間に居合わせた者を異次元へと誘う。この作品の素材は、様々な土地の庭先に植えられた金木犀の葉が集められたものである。要するに植物の種を特定して一個の作品としての強度を担保しながら多様な時空間を集合させた作品として成立しているのである。理論物理学者ホーキングは相対性理論によって導き出された時空間の理論を惹きながら「宇宙全体は少しずつ重なりあった布きれの集まり」であると説く。モノの位置を特定する空間座標と時間座標の可変性を「布きれ」というモデルを用いて語っている。*2 一枚一枚の葉の時間の集積が様々な時空間を感じさせるように、この作品の複雑な模様を介した巨大な布の折り重なりが生み出す空間模様は、変容する時空間のアナロジーとしても存在する。
所蔵作品《なかそら−20リットルの海−》(2012年)は、当館で個展を開催した際に、美術館の近くを流れる堂島川から20リットルの水を汲み、水を蒸発させて塩を結晶化させた作品である。汽水域であること、海に近いことは、近年の災害に対する働きかけで知ってはいたが、宮永の作品に用いられた塩の結晶を提示されると全く違うレベルで認識する。もちろん、宮永はそのような実利的とも言えるような事を表そうとした訳ではない。宮永が意図しているのは、地球が誕生し、海洋ができた頃、およそ40億年前といったスケールを可能化することであろう。以上のように宮永は、身近なものに込められた、見えない時空間を見えるかたちへと変貌させて作品とするのである。(中井康之、2023年9月)

*1 ヘレニズムの社会は、抽象的な時間意識を持ち、また自然とのつながりが強いため時間の可逆性を前提としていた。(真木悠介『時間の比較社会学』1981年)
*2 スティーヴン・W・ホーキング(訳:林一)『ホーキング、宇宙を語る』(1995年)早川書房、48〜49頁。